sunday-labの日本語訳版です。英語版のXOOPS Cube関連記事を翻訳作業中...

2008年1月28日月曜日

X68k+LGPL

僕が Public Domain Software と関わり始めたのは、 X68k を愛機にしていた時代に溯ります。X68k にはシャープ純正Cコンパイラ通称(よりにもよって) "XC" と gcc という2つの代表的なコンパイラがあり、それぞれライブラリとして XCLIB と libc がありました。一般的には、最適化の性能が高い gcc と、アセンブリで書かれておりコンパクトな XCLIB を組み合わせて使うことが多かったと思います。アセンブラはどちらも似たようなもので、ライブラリアンはライブラリ次第。

当時は草の根ネットが流通先だったのですが、ソフトウェアを配る際は、ソースをつけることがほとんど常識になっていました。有償の XC 環境を持っていない開発者も多かったので、バイナリは gcc+XCLIB でも、 gcc+libc でコンパイルできるように makefile を作っておくことがマナーでしたし、ともかくソースさえあれば自力でなんとかなりますから、仮に makefile を修正しなければいけなかったりしても、そのへんのことでごちゃごちゃ問題になることはありませんでした。

PDS の存在は常識として知られてはいましたが、まだ「オープンソース」というバズワードが登場する遥か以前の時代でした。しかし、そこには本当の自由がありましたし、プログラマは自分たちが何をすべきかを知っていたと思います。

厳密に考えれば、ライブラリの動的リンクを使うことがほとんど無かった X68k 環境では、プログラムは静的リンクを使うケースが大半でしたから、 XCLIB/libc の切り替えが効く makefile を作っても、実際に libc をリンクできるかどうかはプログラムのライセンス次第でした。今にして思えばなんですけど。ソース開示するから、ではライセンスはコレで……という時代ではなかったですから、大半の人が「フリーウェア」以外の情報をつけてなかったので libc リンクできたかどうかは厳密には怪しかったんでしょうね。

また libc 環境しか持っていない人が作ったプログラムは LGPL の規約に縛られるし、 GPL/LGPL のコードを持つプログラムを、自分の手元で小型ライブラリとするために XCLIB とリンクさせるということも、ライセンス上許されないはずでした。

まぁそういうことを厳しく見ていく時代では全然なかったですから、約款上では、あの時代にいくつかのミスが見逃されていたのかもしれません。

しかし、あの世界は本当に自由でしたし、そして、その自由に矛先を向けるものはいませんでした。あの時代を思い返すと「アナーキー」という言葉が思い浮かびます。オープンソースというバズワードが作られ、なにが自由で、自由のメリットが何かということが論じられてますが、あの時代のフィーリングが一番いいんじゃない?と個人的には思います。

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